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学生時代、将来を考え始めた時
自分の名前が言えなくなった。
まず言っておかなければならないのは私は「吃音」という言葉すら知らなかった。
自分が吃音なのにだ。
その違和感を意識し始めたのが高校から大学の誰もが一度は将来を考えるタイミングのこと。
就活の中の模擬面接にて自分の名前「田中」が言えなかったのだ。
その”現象”の正体もわからず、誰にも相談できず、自分は何かがおかしいのだと思い悩む日々を過ごす。
恐怖を目の当たりにするのが怖くて自分で調べることもしなかった。
ひたすらにその”現象”から逃げていたのだ。
未来へのいくつかの選択肢をそっと諦め、私は音楽に逃げ、すがるしかなかった。
しかし本当は「音楽で食べていく」という将来を選ぶしかなくなったことを喜んでいたのかもしれない。
ロックは私を解放してくれる。
ステージでの自分は最強なのだと本気で思っていた。
デビューし「LEGO BIG MORLのタナカです」というふうにバンド名の枕詞をつけるとスムーズに名乗れることに気付く。
しかし病院の予約や役所への電話という偽名では切り抜けられない場面での恐怖は続いた。
忘れたふりしてもその恐怖はずっと胸の奥に棲みつき、いつでも顔を出す。
吃音という長年抱いていた恐怖の正体。
テレビでCMが流れている。
「英国王のスピーチ」という映画らしい。
特に映画好きなわけでもない私にとってそれはBGM同様のCMであったが、「英国史上、もっとも内気な王」という広告文句が耳に入りテレビに目を向けた。
「キツオン」というものがテーマの映画らしく、そのキツオンと内気という性格が何の関係があるのか。
ネットの検索欄に「キツオン」と入れてトップに出てきたページをクリックした。
読み進めるうちに、全身が心臓になったかのように私の体はバクバクと脈打つ。
全身が充血したかのように、全身の血の気が引くかのように私は正気ではいられなかった。
それはキツオンというものが完全に私が長年抱いていた恐怖の正体そのものだったからだ。
全ての症状が思い当たり、当事者全ての経験談に共感できる。そうか、私は「吃音」だったのか。
自分が吃音者だと理解してからは少しだけ生きやすくなったものの、問題が解決したわけではなかった。
バンドの作詞担当であり、ライブのMC担当である私は言葉を扱う仕事をしながら思うように言葉を発音できない吃音者である。そんな皮肉な事実に直面しただけに過ぎない。
吃音を知ってもらえたことで生まれた安心感。
数人の心許せる周りの友人に聞いてみた。
「吃音って知ってる?」
ある者は「あーなんか吃るやつ?」
ある者は「その漢字なんて読むん?」
またある者は「その言葉は知っているけど、よくわかっていない」そんな答えが返ってきた。
当事者の僕でさえ吃音を知らなかったのだからそんなものかとも思う。
「実は俺その吃音やねん」
そう言っても全員がそんな風には見えないと言う。
そりゃそうだ、安心感のある親しい間柄では私の吃音は出にくいからだ。
その時にふと思った。
世の中の多くの人が吃音を理解してくれていたら、その安心感から吃音が出ることは減るんじゃないだろうか。
ましてや吃音が出たとしても相手が吃音を理解してくれていたら、吃音者は焦らずに最後まで想いを伝えられるんじゃないだろうか。
このコンプレックスを隠しながら生きるよりも、数人の友人だけではなくもっと世の中にこのコンプレックスをカミングアウトしていけば吃音者が暮らしやすい環境が出来上がるのではないか。
自分勝手に生きてきた私が初めて見ず知らずの人のために何か出来るんじゃないかと思えた。
そんな自分が愛おしかった。
吃音があったからこそ彩られた私の人生
このような心になると全てを前向きに捉えられるようになった自分がいることに気付く。
吃音の”おかげで”言葉を言い換えることに慣れている私は作詞家として音符の数に合わせて瞬時に詞を当てはめることができる。
吃音の”おかげで”KITSUという活動ができ、音楽だけでは出会えない人たちに出会えた。
今回のテーマである『なぜ吃音であるのに自分は今こうなっているのか』に対して私は吃音で「あるのに」ではなく、吃音で「あるから」今の自分があると胸を張って言える。
そう思うと吃音があった「おかげ」で得たもので私の人生が彩られているのかもしれないと、また前を向けるのである。
LEGO BIG MORL タナカヒロキ
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