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こんにちは、吃音当事者のざきです。今は介護福祉士として障害者のデイサービスで働いています。吃音を意識したのは小学校低学年くらいだったと思います。どう自分の心(吃音)と向き合ってきたのかをここではお話したいと思います。
高校生まで~中3でいじめを受けてから、人との接触を避ける生活へ~
小学校は吃音があっても関係なく、友達と遊んだりしながら過ごしました。たまに言葉が出にくいなと思いつつ、授業でも普通に発表したりしていました。低身長だったこともあり、周りが成長していくなかで、自分の背が伸びないことが気になっていました。小学校卒業時で130cm、中学校卒業時で145cmだったこともあり、外見的な幼さもあいまって、同級生も含めいろんな人から気にかけてもらえる環境だったこと、ある意味吃音とは別に特別視されていたことも吃音で悩むことがすくなかった要因のひとつじゃないかなと思っています。また、中学校までは小学校の持ち上がりということもあり、多少のからかいはあっても理解してもらえる環境でした。
高校受験を控えた中3のときに受験のストレスからかいじめを受けて、人間不信になりました。親に心配されたくない一心で不登校にはならずに登校はし続けました。だんだんと人に頼ることが怖くなり、人との距離感がわからない。感情を殺し続ける半年を続けたことで、自分自身の内面が変わっていき、作り笑いが張り付いたロボットのような状態で中学校を卒業しました。ストレスからか、肌をかきむしり、肌が真っ黒になってしまう程になっても搔きむしり、自傷行為による痛みで精神を保つ精神状態でした。
高校になってからは誘われない限り人との接触をさける生活をしていました。部活は入っていたので、部活動をしながらも人間関係がめんどくさいなと感じ、近くの山に登り一人でいる時間を作っていました。なにかしていないと落ち着かない、そんな強迫観念もありました。吃音は悪化したりするときもありましたが、言葉は出にくいなと思うくらいで正直どうでもよかったです。徒歩圏内で生活のすべてが成り立っていたので、外にでるきっかけもなく、そんな気力も起こらない生活でした。
大学受験のときはそんな生活をしていたからか、人の心に興味を持ち、心理学部のある大学を目指して勉強しました。
大学時代~世界を広げて自信を付け「変わってるけどまあいいや」へ~
大学生になって世界が一気に広がったこともあり、自分の人生において大きな転換点となりました。電車に乗ること、アルバイトをして、自分でお金を稼ぐこと、サークルに入り、いろんな人と出会ったこと、体を鍛え始めたこと、保育所のボランティアをしたこと。大学生活を通して心の傷はだんだんと癒えていきました。
・なかでも大きかったことは、いろんな可能性が自分にあることに気づいて、行動を起こせるようになったことです。毎日休みなく、バイトやらサークル活動に行き、家にいる時間は寝るときくらい。外で自分の居場所を作り続けたことが自分自身の内面を大きく変えました。自分のなにげないしぐさや感情表現が苦手なこと、言葉が出にくいことも個性として笑ってもらえる。できないことも努力を続ければいつか当たり前にできるようになる。子供と接するときは自分の感情が素直に出る。追いつきたい人がいるなら、前を向き続けることでいつか追いつける。
ある先輩に一回生の時に言われたことは、「自信がないのは、自分が好きじゃないから」
「敬語じゃなくてもいいから、遠慮せずに頼れ。俺はお前が好きやから俺が守ってやる」でした。自分が嫌いすぎて、20歳で死のうと考えたこともある、そんな自分自身を気に入ってくれるひとが世の中にはいるんだなって思いました。また、バイトを通して、ほかの人にできないことができると周りの目が変わることも実感できました。皿洗いという単純作業でも社員も含めたなかでトップレベルのスピードでできるとそれが自信になる。いろんな経験を通して、一つずつ自信をつけ「大嫌いな自分からちょっと変わっているけど、まあいいや」と思える自分に変わっていった大学生活でした。
就活から社会人へ~就活のストレスで吃音が悪化、でも自信を持って社会参加~
就活では世間の評価を突きつけられ、ストレスからか言葉が全然でない状態になりました。社会勉強として説明会に行くなかでいろんな仕事の存在を知りました。それでも内定がでず、いったん就活は終了しました。就職というレールに乗るのが、自分にとっていいのか悪いのかも含め、これからの生き方を模索する日々でした。結局は内定をもらえたので就職できましたが、フリーランスも考えたりバイト先にそのまま就職することも考えました。当時は言葉がまったく出ないので、障害手帳取得して障害者として生きるという選択もありました。言葉が出ないことは不幸なのか、自分は社会に対していろんなことができるという根拠のない自信がすでにあったので、吃音を便利な道具として使いこなすという発想も浮かびました。僕が吃音で悩んでこなかったのもこういう所かなと思います。
いろいろ書いてきましたが、社会参加の方法はいろいろあるし、一人ひとりにあったものは探し続ければ見つかる。そのきっかけとして環境を変えること、行動を起こすこと、自分を認めること、何より絶望して家に閉じこもらないことが大切だと思います。
社会は広く、困っている人はその人の数だけあります。その一つでも自分が介入して変えることができるなら、それが社会参加になる。自分の可能性を閉ざしてしまうのはたいてい自分自身。買い物一つでもお店にとってありがたいこと。仕事として働かなくても、社会参加の方法は探せばきっと見つかる。吃音かどうかなんて困っているひとからすれば関係ない。吃音に悩まずに、一歩踏み出せるきっかけになれば幸いです。
読んでくださり、ありがとうございました。
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