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私は吃音当事者のはると申します。吃音は一般的に「言葉が出づらい障害」という一言で済まされると思います。しかし、私は人生に大きな影響を与えうるものだと思っています。今回は私が幼少期から様々な人と関わる中で吃音について考えてきたことをお話したいと思います。
はじめから読む
先生に話し方を指摘された時から、人に話すことに対する恐怖心が芽生えた。
吃音があることを誰にも気づかれないようにしていましたが、先生に指摘されたその時から、人と話すことに対する恐怖心が芽生えました。
ちょうどその時から、言い表せない不安が襲ってくるようになったのです。
当時は今のようにスマホなんてありませんでした。
インターネットも授業でたまに触るぐらいで、それを使って吃音のことを調べるなんて発想もありませんでした。
あっても、きっと調べる勇気もなかったでしょうし、いつか治ると信じていました。
吃音と向き合うことがストレスなのは、未来に対する言いようのない恐怖に襲われるから。
不安な気持ちを抱える中、翌朝起きたらきっと吃音が治っているはずだと考えました。
しかし、吃音が治る日はいっこうにくる気配がありませんでした。
「自分は死ぬまでこれを抱えて生きていくのか。」
吃音の恐怖が大きすぎたのでしょうか。そのことを考えた瞬間に、吃音から目を背けるクセがついていったように思います。
吃音と向き合うことがストレスなのは、未来に対する言いようのない恐怖に襲われるからです。
吃音を持つ自分のことなんて、絶対に受け入れられませんでした。
「人に吃音について知られることはあってはならない。」
そのように考えるようになっていきました。
高校に入る頃、自分でもはっきり自覚できるほどに吃音が悪化。
高校に入る頃には、私の吃音は自分でもはっきり自覚できるほどに悪化しました。
私の吃音は連発型と呼ばれる「あ、あ、あ、ありがとう」「ど、ど、ど、ど、どうしたの?」のように言葉が連発して出てきてしまう症状が初期症状でした。
次に伸発型という言葉の最初の音を伸ばしてしまう症状を経て、最終的に難発型と言われる、話そうとするとその瞬間に呼吸が止まったような感じになって、まったく音が出なくなってしまい、口だけがパクパク動いて音が出ない状態になりました。
これは、普通の人には理解できない感覚だと思いますが、1番辛くて苦しい症状でした。
連発型から始まり、吃音を隠そうと試行錯誤を始めた時から、症状が悪化し始めたと思います。
人によって、症状の重さや苦手な音は違いますが、吃音を「悪いものだ」と捉えることが、症状が悪化したスタート地点ではなかったかと思います。
吃音を隠すために、工夫を続けた高校生時代。
高校生時代は、難発で言葉が出ない場面が明らかに前より増えました。
日常生活のあらゆる場面で苦労することが増えて、特に授業で言葉を出さなければならない時は苦痛でした。
例えば先生から「答えはA.B.Cのどれでしょう」と聞かれた時に、答えが明確にAの場合でも、私は「Bです」と答えました。
とても簡単な問題の時もそうしていたので、周りの人は「どうした?」という顔でこちらを見ていました。
しかし、私は「A」という言葉が出ないから「B」か「C」と言うしかなかったのです。
もし「A」と言えば、吃音が出たり、無理に言おうとして苦しむ姿を晒したりすることになるでしょう。
そのことが、どうしても怖かったのでした。
友達と話している時も、工夫をしなくてはなりませんでした。
言葉が出ない時に、同じ意味の表現を使って言い換えをすることです。 例えば「明日」が言えないなら「次の日」と言ったり、「楽しい」という言葉が出なければ「面白い」と言ったりしました。
なるべく意味が変わらないようにしましたが、どうしても若干のニュアンスの違いがあるので、本来意図することとは違う意味で伝わってしまうことも多くありました。
話すたびに工夫しなくてはいけないので、ただ話すだけでも頭を使い、とにかく心が疲れていきました。
以前は楽しかった会話が、段々と苦痛に変わっていきました。
吃音を馬鹿にするような人がいなかったのは本当に幸運だった。
毎日言葉を話すという、人間にとってごく当たり前だと思われる行為が1番ストレスだった私ですが、直接からかったりいじめたりする同級生は1人もいませんでした。
今思えば、友人達は私の吃音を確実に知っていたと思います。
しかし、そのことで馬鹿にするような人がいなかったことは本当に幸運だったと思います。
吃音者の中には、吃音が原因でいじめられた人もいることを聞いてきました。
もし、吃音のことを馬鹿にされて、みんなの前でいじめられ、話し方を笑われていたら、きっと一生残るトラウマになったと思いますし、その後の人格にも確実に影響が出ていたと思います。
吃音は自分の人生に大きな影響を与えうるもの。
ここまで学生時代の体験を書いてきましたが、正直辛かった思い出がありすぎて、どれかに絞って書くことは難しかったです。
なぜなら、いくら共感してくれる人がいても、私は吃音と共にずっと生きていかなければならないからです。
「人生の中で一時、吃音になって辛かった」というものではないのです。
話すという行為は、人間にとって生きていく上で欠かせないものであり、他者と関わって生きていく上で最も強力な力を発揮するツールです。それが吃音によって上手くできないと、生活のすべてに不都合が生じるのです。
吃音で1番つらいのは、誰かに嫌な顔をされたり、言うべき言葉が出なかったりした時ではありません。
人生を吃音にコントロールされている感じや、吃音を持っているが故に他者とコミュニケーションを取ることを諦めてしまうことが最もつらい時だと思います。
本当は取りたい選択肢があるのに、吃音によって諦めてしまうことは何よりも悔しくて辛いことであり、その辛さすら声に出して言葉にできないのです。
自分の言葉で誰かに助けを求めることも許されません。
「声が出づらい障害」
普通の人にはその一言で説明されるかもしれません。
しかし、当時者にしてみれば自分の人生の選択肢や、そのすべてに大きな影響を与えうるものが吃音という障害なのだと思います。(はる)
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