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吃音当事者の岩永はるかと申します。吃音を抱えていると吃音に人生が縛られてしまったり、生きている意味の答えが見つからず辛くなってしまうこともあると思います。私もかつてはそうでした。そんな私ですが、ある本との出会いから吃音が問題ではなくなりました。今回はそれについてお話したいと思います。
職場の電話に出たときに、自分の名前が言えなかった。
私は難発の吃音を持っています。
吃音についてハッキリと自覚したのは、19才の時でした。
簿記の学校で当てられて回答するときに、苦手な「か行」を必ず言わなければならないシチュエーションに出会いました。
「言えない」「恥ずかしい」「困る」毎日そんな気持ちを積み重ねていきました。
そんな学生生活を経て、初めて就職した会社でショッキングな出来事に遭遇しました。
電話に出たときに、どうしても自分の名前が言えなくなってしまったのです。
しかし、言わなければ先に進まない場面です。
30分ほど、沈黙が流れました。
今思い返しても胸が苦しくなり、死にたい気分になります。
その職場では5年も頑張りました。
今思えば、早く辞めれば良かったと思います。しかし、その時は「5年は続けた方がいい」という謎の常識があったので、頑張ってしまったのでした。
この5年間は辛くて苦しい暗黒の時代でした。
私は小学生の頃から、生きることが辛いと思っていました。
なぜ生きなければいけないのか、理由を知りたいとずっと思っていました。
電話を避けるため、やりたくない仕事ばかり選んでいた。
小学校4年生になるまで、私は家の外で言葉を発しない変わった子供でした。
一方で家庭内では会話があったかと言うと、ほとんどありませんでした。
親との心情的な交流がほとんどなく、心を理解しない親を恨んでいました。
そのため、人との距離感や常識が分からず、いつもびくびくしていました。
何だったらしても良くて、何をしたらいけないのか。
周りを観察して、自分の心を無視して踏みにじってきたと今ならわかります。
いろいろな意味で、生き辛さをずっと味わってきた人生でした。
5年勤めた会社を退社した後のキャリアは、初めての仕事で味わったあの苦痛を2度と味わいたくないが為に「電話のない仕事」「話さなくていい仕事」ばかりを選んできました。
つまり、肉体労働ばかりです。
電話さえなければ、私は十分に役に立てる人材だと思います。
「電話のない仕事」を探しても、やりたくない仕事しかありませんでした。
悔しい思いばかりしてきました。
「吃音さえなければ、自由な人生を送れるし、好きなことをやれる。」
専門家の先生に相談したこともありましたが「そんなことはもうやっている」という対症療法しか得られなくて、何もわかってないんだ、とガッカリしました。
吃音を前向きにとらえることなど到底できなかった。
吃音を自分で治そうと、言語聴覚士の勉強をしました。
しかし、そこでも根本的なことや本質的なことは何も得られませんでした。
吃音を前向きにとらえることなど到底できなかったのです。
人に話すことができないばかりか、吃音という文字さえも見ることができませんでした。
同じ吃音を持っている人と関わることについては、考えることもできませんでした。
苦しみの気持ちが人の分まで押し寄せてくるからです。
私は、敏感な人でさえ吃音を悟られないように、ふるまうことができるようになりました。
「分からないのだから、いいじゃない」
そんな言葉に傷ついたこともあります。
吃音がない人が軽々とできることを、絶え間なく苦労と努力をして、できているのです。
私が言いたいことはこの言葉ではないのに「言い替え」なければならない苦しみ。
言葉は分かっているのに、忘れたふりをしなければならない辛さ。
何か言う時には心の準備が必要で、常に緊張していました。
吃音の辛さから解放された、1冊の本との出会い。
特にストレスと苦痛を伴うのが電話対応です。
なかでも「決まっている言葉」は天敵でした。
例えば「名前」や挨拶「おはようございます」「いつもお世話になっております」「お疲れ様です」、また「自己紹介」などです。
常に過剰なストレスがかかっているのです。
そのため、仕事も自由に選べません。 体を動かすことはあまり得意ではないのに、そのような仕事しかできませんでした。
そんな中、転機となる1冊の本との出会いがありました。
『肉体は他人』と言っている「ZEROの法則」という本です。
実際に、その本を書いた著者に話を聞く機会がありました。
『肉体に障害はあっても、魂に障害はない』
その言葉を聞いた瞬間、私はすべての辛さや苦しみから解放され、思わず号泣しました。
今まで何が辛かったのか理解できたからです。
私は自分を偽っていたことが辛かったのです。
この吃音のせいで、人生が不自由だったことが苦しみだったのです。
私自身が「ダメ」だと思うことが辛かったのです。
ダメな証拠をいつも見せられていると感じていたことが辛かったのです。
さらに、事実の積み重ねから人生の目的が導き出されていたため、もっと深い理解をすることができました。
「私はダメじゃなかったんだ。この難発を背負うことも、私が決めてきたことだったんだ。」
そこまで分かった時に、爽快な心の景色が見えました。
もし、私が吃音を持っていなければ、こんなに悩むことも苦しむこともなかったでしょう。
しかし、そのおかげで私は「肉体は他人」という事実に出会え、さらに生きている理由も知ることができました。
この気持ちが分かるのは、苦しんできた人だけだと思います。
最初の職場で5年間苦しみぬいた私や、今日まで人生を生きてきた私を「本当によく頑張ったね」と抱きしめてあげられるようになりました。
他人である肉体が主体の人生をやめて、魂である本当の私を大切にして生きていきたいです。 (岩永はるか)
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