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小学生時代、ことばの教室に通うことをどのように捉えて通っていたか。ことばの教室に通っている子供はどう感じているか?が知りたい方へ。通うことについて、子供にどこまで説明すればいいのか悩んでいる方へ。個人的な経験と感想ですが、ひとつの事例として少しでも私の経験が役立てば幸いです。
ことばの教室について私が覚えている4つのこと
まず親御さんが気になることは、大人になった時にどのような影響があるのだろう?悪い記憶として残らないといいな、ということだと思います。
約20年前の経験ですが、大人になった今覚えていることをご紹介したいと思います。
ことばの教室での記憶
・普段通学している小学校にはことばの教室はなかったため、別の小学校へ親の送迎で通うスタイルでした。
・待ち時間は遊びの部屋?のような待合室で待っていました。2段ベッドがあったり、大きなクッションがあったり、パズルがあったりしました。
・絵を描く課題があり、描き終わると自分が考えていることを説明する時間がありました。
・スタッフさんと一緒におもちゃが沢山ある部屋で遊びました。遊びの中で自分の気持ちを話したり、ルールなどを説明するなどしていました。
子供時代、なぜことばの教室に通っているかはきちんと理解していなかった
正直、小学生の頃は吃音にそこまで深刻に悩んでいた記憶はありませんでした。
そのため、親がお昼ごろに迎えに来るので「みんなより早く帰れてラッキー」ぐらいに思っていた記憶があります。
その時には、なぜここに通っているのか?をきちんと理解していなかったと思います。
「ことばの教室」というフレーズを覚えているということは、 小学生ながらに「何か言葉について習う教室かなあ?」ぐらいには理解していました。
小学生の時は自分が吃音ということは、そこまで意識していなかったと思います。
ことばの教室に通ってよかったことは、自己肯定感が向上したこと
ことばの教室について悪い記憶はほぼないし、逆にすごく楽しかった!という印象も特にありません。
多分、その教室で特に何かが改善されたわけではないと思います。
ただ、自分が通っている学校以外の学校に行けたので、自分の学校以外の世界があることを知ったことは、他の子とは違う特別な経験だったと思います。
さらに、自分に対して真剣に課題などを個人指導してくれる先生がいたことは、自己肯定感の向上にいい影響を与えてくれたと思います。
「吃音だからことばの教室に通う」ということを小学生ではっきり理解していなくてもいいと思う
小学生でことばの教室に通う場合、ほとんどはきちんと理解せずに通っているのかなと思います。
また、親になってみて親の立場から考えると、 小学生の子供に「あなたは吃音という障害がある」「だからそのための教室にいくよ」と言うのはちょっと躊躇するところはあります。
なるべくなら「障害」をもっていることを子供には意識して生きてほしくないとも思うからです。
吃音を意識することによって、足かせのように子供が思ってしまう可能性を懸念するからです。
そのため、私が小学生の時にことばの教室に通うにあたって感じていた「なんとなく言葉に関することを教えてもらう教室」に行くという認識はちょうどよかったのかと思います。
そのおかげか「吃音だから」と何かを諦めた記憶はほぼありません。
とはいえ、小学生といっても個人差があるのでひとくくりにはできませんが、これからことばの教室に通わせようとしている親御さん、教室に通わせている親御さん、子供がどのように感じながら通っているか?
どこまで話したらいいのだろうか? と悩んでいる方がいらっしゃったら、少しでも参考になれれば嬉しいです。
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