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吃音についての認知や理解は不足しており、私が子供だった時代もいわれのない差別によって苦しんだ経験がありました。そんな私が吃音を克服した背景には、1冊の本との出会いがありました。今回はそのお話をしたいと思います。
高校生の時、1冊の本に出会った。
最近、自分の吃音について話す機会が多くなりました。吃音にまつわる過去の体験に話が及ぶことが多いのですが、話していくうちに色々なことを思い出すことがあります。
自分の過去の体験を話すことは、子どものころ生き延びるために、傷ついて心から流れ出した血を止めるために、めちゃくちゃに張ったカサブタの膜を一枚一枚剥がしていくようなものです。
そうして、ずっと蓋をしていた古い記憶を遡っていくと、忘れていた1冊の本を思い出しました。
北條民雄の「いのちの初夜」は高校生の時に地元の図書館で出会った本です。
著者である北條民雄さんは、当時「不治の病」「業病(前世で悪いことをした罰としてかかる病)」と言われていたハンセン病を患っていました。
言うまでもなく、ハンセン病は前世で悪いことをしたからかかる病気ではありません。また、現在は治療法が確立された病気です。
しかし、当時は上記のような偏見や誤解が根強く、ハンセン病を患った方々は家族や生まれ育った場所、今までの生活から完全に切り離され、隔離された施設に送られたあげく子供ができなくなる手術を受けさせられたり、患者の家族が周囲に嫌がらせをされるなどの非常に酷い扱いを受けてきました。
この本は、そんなハンセン病にかかった北条さんが書いた短編小説です。
吃音を隠すことに精一杯だった私は、ある文章に衝撃を受けた。
主人公は、当時不治の病として恐れられていたハンセン病にかかり、人生を諦めかけていました。
病院を抜け出して自殺しようとして失敗した夜のこと、同室の患者さんからある言葉をかけられます。
『きっと生きられますよ。きっと生きる道はありますよ。どこまで行っても人生にはきっと抜け道があると思うのです。もっともっと自己に対して、自らの生命に対して謙虚になりましょう』
『とにかく、癩病に成りきることが何より大切だと思います』
※癩病はハンセン病のことですが、今は差別用語として扱われているため用いません。
吃音で偏見や差別に悩まされてきた私は、その文章に衝撃を受けました。それまでは、吃音を隠すことに精一杯の人生だったからです。
もし吃音を持っていると気づかれたら、どんな酷い目にあうか、どんな惨めな目にあうか分からないと思っていたからです。
実際、差別や偏見を多く受けていました。
小学生時代は私の声を聞いたり、体に触れると吃音が感染ると恐れられていたので、廊下に出ると集まっていた人がさーっと避けていくことがありました。また、「きっと前世で悪いことをしたから罰が当たったんだ」と言われたことさえもありました。
「とにかく、吃音者に成りきろう」
しかし、この本に書かれていることに比べたら、私の受けたことなど何でもないようなことに思えました。それほど、当時のハンセン病患者に対する差別は酷かったのです。
この本を書いた北条さんは、なんて強い人なんだろうと読みながら涙が止まりませんでした。
そして、この本に勇気づけられた私は、吃音をオープンにしてありのままの自分で生きていこうと思いました。
「とにかく、吃音者に成りきろう」と思えたのでした。
それからは、外交的に吃音を隠さず色々なところで話せるようになりました。
私の人生にとって、こんなにも大きな変化をくれた本なのに、なんで今まですっかり忘れていたんだろうと不思議です。
ちなみに「いのちの初夜」は青空文庫で無料で読むことができます。とても良い本なので、是非。
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