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吃音を抱えて、子供のころに辛い経験をしたという派遣@吃音さん。しかし、色々な出会いを通して自分を変えることができたと言います。今回はそんな派遣@吃音さんの体験談を掲載します。
学校に通うのが楽しかった。あの出来事があるまでは。
私は小学3年生まで分校に通い、吃音があったのかもしれませんが、がき大将で毎日楽しく学校に通っていました。
小学4年生になって本校に通うことになりましたが、ある出来事が起こるまでは学校へ行くことが楽しみでした。
ある道徳の授業中、別の分校から来た女の子が○○ちゃんのしゃべり方は変、どうして?と私に質問したのです。
私は意味が分からず、立ったままでした。
すると、同じ分校から来た1番の仲良しの子が立ち上がって「○○ちゃんは吃音だからだよ、いつも、ゆ、ゆ、ゆ、ゆたかちゃんって呼ぶんだよ」と大声で叫んだのです。
教室は大爆笑でした。
その後の記憶はありません。その日から下を向いて歩くようになりました。
俺ってみんなと違うの?友達になれないの?
そんなことがあった矢先ラジオを聞いていたら、ある有名な女優が「近所に吃音のお子さんがいると感染るから遊ばせないようにしましょう」なんて言ってるではありませんか。
「ええー、俺ってみんなと違うの?友達になれないの?」
そう思うようになり、今まで楽しかった学校が苦痛の場所になってしまったのです。
そして、みんなから嫌がられるように不良の真似をしはじめました。
中学生のある日、理科の授業中に本を読まされました。トリチェリーの定理のトが言えなくてしばらく黙っていたら、先生がもういい、と怒りだしたのです。
反抗してると思われたのかもしれません。カタカナを読めないはずないですからね。
吃音の仲間との出会い。 ひとりじゃないことに気づき変わることができた。
高校生になると、父親から近所の知り合いの家へ行ってある物を借りて来るように頼まれました。
言いにくい言葉だったので不安な気持ちでその家に行くと、運悪く数人の大人の人達が集まって立ち話をしているではありませんか。
全員の視線を感じてすごく緊張して、あのー、あのー、と口ごもっていると、その中のひとりの人が、なんだい用事を忘れちまったのか!と叫ばれ全員に大笑いされ、逃げるように走って帰りました。
吃音に悩みに悩んで、高3の夏休みに東京にある民間の吃音矯正所に2週間合宿して、吃音を治そうと決意しました。 これで吃音の苦しみから解放される、よし頑張るぞ、と頑張った2週間でしたが残念ながら吃音は治りませんでした。
しかし、そこで知り合った吃音者とのふれあい、一緒に頑張ろうという心からの思い、ひとりじゃないんだ、ということに気づき、私は変わることができました。
今思えば、両親に吃音の苦しみを正直に打ち明けたことや両親が理解して協力してくれたこと、ひとりじゃないんだと思えたこと、これらがあったからこそ、地域の育成会長、自治会長、後援会会長を務めることができたのだと思います。
若い人達に伝えたい、ひとりで抱え込まないでください。悩んでいるのはあなただけではないですよ。(派遣@吃音)
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