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多くの吃音当事者が面接が苦手なように、私も人生のことあるごとに面接のハードルを感じたことがありました。吃音が原因で失敗した面接を数えたら枚挙にいとまがありません。今回は、面接で失敗したけれど、日頃の努力が実って志望校に合格したお話をしたいと思います。
志望校の面接で自分の名前さえ満足に言えなかった情けなさ
中学3年生のある日、私は各停電車に揺られて母の隣で涙を流していました。
今日は、志望高校の推薦面接の日。
なぜ泣いていたかというと、面接で自分の名前すら吃ってしまい、面接に大失敗したからでした。
その日の朝、志望校の校門で3年間お世話になった塾の先生が手作りの可愛いお守りを手渡してくれましたが、そのお守りも私の涙で文字が滲んでしまっていました。
「合格はほとんど中学の内申で決まるから。先生も落とすための試験じゃないって言ってたから大丈夫だよ」
母に慰められましたが、私は自分の名前さえ満足に言えなかった情けなさで、ひたすら涙を流していました。
吃音がある私を受け入れてくれる志望校に行きたかった。
私の志望した高校は自宅から片道1時間半も離れた場所にありました。
なぜ、そんなに遠い高校を目指したかというと、オープンキャンパス時に校長先生が仰っていた言葉が印象的だったからです。
「わが校では一切のいじめを容認しません。いじめをしたものは見つけ次第、退学処分にしています」
私は、音読や自己紹介の場面で吃音が出てしまった時にクラスメイト数人から「早くしろ」と野次を浴びせられ、丸めたプリントを投げられるといった嫌がらせを受けた経験がありました。
そのため、何としてでも今の状況から脱して、吃音がある私を受け入れてくれる学校に入学する必要がありました。
偏差値が高い高校でしたが、休み時間も猛勉強した努力が実って、無事に校長先生から推薦書の印を押してもらうことができたのです。
そして、合格発表の日。
その高校に推薦を受けるには、専願といって他の高校を受けてはいけないことになっていました。つまり、失敗したら行く高校がなくなってしまうので、先生や親の期待をかなり背負っていました。
そんな期待を裏切ってしまった申し訳なさと、肝心なところで吃音が出て話せなくなってしまう情けなさが涙となって止まることなく流れ続けました。
それから数日間、暗い気持ちで過ごしていました。
そして、合格発表の日を迎えました。
合格発表は学校で行われるイメージでしたが、私が志望した高校は学校のホームページ上で行われることになっていました。
パソコンを開くと、画面に受験番号を入れる手が震えていることに気が付きました。パソコンを操作する私の後ろで、両親も固唾をのんで見守っていました。
「あった!」合格発表の文字を見て、母が叫んだ。
数字の羅列を目で追っていきます。緊張のせいか何度も目が滑って、数字をとらえることができませんでした。
「あった!」
そういって母は画面を指さしました。
私は驚いて、信じられずに受験番号と画面を何度も見比べました。
確かに、私の受験番号が画面に書いてあったのです。
母が祖父母に電話するために部屋をでました。父も「良かった、良かった」と笑顔でリビングに去っていきました。
私はもう一度、受験票の数字をパソコンの画面の数字と隣になるようにあてました。
そして、面接に失敗して帰宅途中、母が言っていたことを思い出しました。
「合格はほとんど中学の内申で決まるから。先生も落とすための試験じゃないって言ってたから大丈夫だよ 」
母が言っていたことは本当だったと気が付きました。
志望校は、校長先生が宣言していたとおり、いじめがまったくない学校でした。
1年生のときに他の生徒をいじめた生徒が即休学・退学になっていたので、校長先生の取り決めは本気のようでした。
そんな恵まれた校風のおかげで、授業中に吃音が出てもクラス中が野次でうるさくなることも、丸めたプリントを投げられることもなくなりました。
吃音の症状は年齢が上がるにつれて悪化する一方でしたが、理解ある環境で過ごすことができました。
あの時、吃音があっても腐らずに勉強を頑張って本当に良かったと思いました。そして、吃音が酷くて自分の名前を言うこともままならなかった私にチャンスをくださった母校には感謝の気持ちで一杯です。
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