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吃音当事者のイナベシンイチです。私は日本の学校教育における問題点が社会に浸透していくことを疑問視しています。 今回は、吃音者が劣等感を感じる一因について、教育現場の問題の観点から記事を書きたいと思います。
人と同じことをさせられる日本の学校教育
日本の学校教育は「人と同じ」ことをさせます。例えば、給食は生徒(児童)全員が同じものを食べます。
生徒(児童)の中には好き嫌いがあったり、アレルギーのある人もいるでしょう。
私は今でも牛乳が苦手で、あの味を感じるだけで吐き気がしてきます。小学生の時、給食を完食するまで帰宅させない先生でした。
そのため、私は当然、毎日のように居残りさせられていました。
牛乳くらい全員が飲めて当たり前な考えの中、私1人だけが苦手なのは致命的でした。
給食のことで母が先生から呼び出しを食らい、面談までしていたくらいです。今となっては馬鹿げた話なのですが…。
もし人と違うことをすると、先生に叱られたり、いじめに遭ってしまうかもしれません。
これが日本の学校教育なのです。現在でもいじめによる自殺は少なくなく、あまり変わっていないようです。
しかし、人と違うことをしていかないと差別化できずに淘汰されてしまうかもしれません。時代の変化に対応することも難しいでしょう。
日本の学校教育には騙されてはいけません。
この教育が日本社会にまで染まっています。ほとんどの会社では、いくら素晴らしい提案をしても「出る杭は打たれる」で終わることが少なくありませんし、毎日同じ時間、同じ場所に行き、同じ人に会いに行くことは学校も会社も同じなのではないでしょうか?
受験における問題点
日本には「受験」という制度があり、現在ではほぼ全ての人が高校入試(中高一貫校の場合は中学入試)を受けます。
もし中学時代の偏差値がすこぶる低く、都道府県で最低レベルの公立高校にすら合格できなければ(高校入試に失敗したら)どうなるでしょうか?
失敗すると「中卒」になるのです。
中卒の有効求人倍率は2021年3月新卒で0.75倍(高卒は2.08倍)しかなく、就職は非常に難しくなります。
資格試験の受験においても中卒では受験すらできないものもあり、人生における選択肢は大幅に少なくなります。
もちろん高校卒業認定試験に合格するという選択肢はありますが、少なくとも8科目に合格する必要があるため最低レベルの公立高校に合格できない人にとっては決して簡単ではありません。
私は中学時代、全ての科目において学校の成績が悪く、定期テストの点数は平均点の半分程度しか取れませんでした。
評価も5段階中では2や1ばかり、10段階中では4~2が大半で、良くても5、体育は1を取ったこともあります。
当時は相対評価だったため、評価における学年全体のなかの人数は決まっていました。
学年全体で280人ほどいたのですが、10と1は3~4人だったそうです。つまり、体育に関しては280人ほどいるうちのワースト3~4になるわけで、もちろん、最下位であった可能性もありました。
このように受験にまつわる相対評価や偏差値は、「他人との比較」によるものです。この「受験」があるせいで、大人になっても「他人との比較」をしてしまう癖が抜け切れていないのではないでしょうか?
もし他人と比較して劣っていた場合、劣等感に苛まれて自己肯定感を育むことは難しくなります。
思春期において、本来であれば何らかの活動を通じて自己肯定感を得ることも大切です。自己肯定感を得ることにより自分に自信を持ち、新たな行動に繋げることができるかもしれません。
しかし、学校の勉強が苦手で運動神経が悪く、文化祭などの年中行事にも消極的な中学時代の私は、残念ながら自己肯定感を得ることはできませんでした。
社会人経験が26年以上あり、プログラミングを用いて業務改善し、労働生産性を向上させている現在であっても試しに直近に実施された公立高校の入試問題を解いたら、その点数は中学時代とほとんど変わりませんでした。
しかも当時をフラッシュバックし、極度の鬱状態が3日間も続きました。
吃音に関してもそれと同じで、99%の非吃音者である他人と比較するから劣等感に苛まれるのです。「人と同じ」ということは、吃音者を否定することですから。
(イナベシンイチ)
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