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吃音についての認知や理解が不足するなか、いわれのない偏見やいじめに苦しんだ経験がある人は多いかもしれません。吃音への理解を広めることは大切ですが、今の辛い状況から上手く逃げることも同様に大切なことです。
私の場合は冬休みに祖父母の家に行くことが、吃音の辛さから逃れられる方法でした。今回は吃音に苦しむ私を支えてくれた祖母についてお話したいと思います。
吃音で辛い日々を送る中、冬休みに祖父母の家を訪ねた。
新幹線が通るターミナル駅からローカル列車で1時間半、渓谷を過ぎると深い自然の中に、時代に忘れられたような原風景が広がります。
福島県会津。私の祖父母がかつて住んでいた場所です。年間の平均積雪量が400センチほどにもなる豪雪地域に祖父母は2人で住んでいました。
ローカル列車が駅に到着すると、改札も何もない無人駅のホームに2人が傘をさして立っている姿が見えます。私が挨拶すると2人は満面の笑みで私を迎えてくれました。
私はその時、毎年「帰ってきた」と安堵の気持ちに包まれたことを覚えています。
絵が得意だった私。美術の課題で感じた、ある不安。
冬休みの間はずっと祖父母の家で過ごしていたので、よく居間の炬燵で宿題をしていました。祖父母は宿題が沢山あって大変だね、といって私が勉強している様子を眺めていました。
中学2年生の冬、冬にちなんだ絵を描くという美術課題がでました。描いた絵はすべて廊下に張り出され、生徒たちは良い絵を選んで投票し、票が多く集まった人は学年集会で表彰されることになっていました。
私は祖母が作ったおせち料理を写真に撮って、模写することにしました。食べ物の絵を描くことは得意だったので、祖父母は絵をのぞき込みながら上手く描けていると褒めてくれました。
母が台所からやってきて、「この絵なら入賞間違いなしだね」と言った瞬間、私にある不安がよぎりました。
学年集会で話し方を笑われた生徒の姿を目の当たりにした。
中学1年生、年明けでまだ凍えるような寒さのなかストーブが焚かれた体育館に集まった生徒たち。学年集会で、冬の絵コンテストの入賞者の発表があったのです。
入賞者は全部で5人いました。その中で普段おとなしい、あまり話さない子が呼ばれて前にでました。
入賞者は全学年の前でスピーチをしないといけません。その子は緊張のせいか声が上ずってしまい、体育館にクスクス笑いがおこりました。
隣からは「なにあの声」という言葉も聞こえてきて思わず、もし私だったら…と恐ろしくなりました。
この絵が入賞したらスピーチが待っている…不安に駆られ、消しゴムを手にした。
もしこの絵が選ばれてしまったら、あの子みたいに笑われてしまうかもしれない。そう思った私は、出来上がった絵を消しゴムで消しはじめました。
それを見た母は、なぜ消すの、と慌てて消すのをやめさせようとしました。もし入賞したら学年集会でスピーチしないといけないから嫌だ、と断ると呆れたように行ってしまいました。
私も頑張って書き上げた絵を消すことは悔しかったです。しかし、学年の前でスピーチをする恐怖に比べたら選択肢は1つしかありませんでした。
何も言わず、ただ慰めてくれた祖母。
提出用紙を一生懸命消しても、色鉛筆で描いた絵はなかなか消えませんでした。仕方がないのでコピー用紙を上に貼って、絶対に選ばれないように雪だるまを1つ描きました。
悔し涙を抑えて絵を描き終えると、祖母が炬燵に入ってきて「一緒におやつを食べよう」と笑いました。
祖母は私の吃音について、亡くなるまで一度も触れませんでしたし、私からも話したことはありませんでした。私はいつか祖母のように辛さに黙って寄り添える人になりたいと、おやつのミカンを食べながら思ったのでした。
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