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吃音はいまだに認知や理解が不足しており、周囲から心無い言葉をかけられた経験を持つ人も少なくありません。吃音当事者の子供を持つききたさんも子供の友達から素朴な疑問を投げかけられることがあり、 「これが彼の話し方なんだよ。ゆっくり聞いてあげてね」と伝えるようにしているということです。吃音があっても理解のある環境で子育てが出来ていると語る、ききたさんの体験談です。
療育センターを経て言語通級へ。吃音について学びを広げる子供。
私の息子は4歳で発吃しました。最初は助詞の連発程度でしたが、強いブロックが出るように。
連発は全く気にしなかった息子も、ブロックはさすがに自覚があり「言葉が出ない…」と悲しそうに訴えていました。
元々発語が遅く、自治体の発達相談を受けていた流れで療育センターを利用して、同じく4歳でASDの診断もついていたため(発達凹凸知的なし)、スムーズにSTへつなげることができました。
息子の吃音は良くなったり悪くなったりで、酷い時は強いブロックが出ます。良い時も「1日吃音がない」という日はありません。年長になるころには「息子は吃音と一生付き合うことになるだろう」と思うようになりました。
そのため、就学前相談を受けることに。息子はASDもあるので、情緒通級も対象です。
しかし、集団生活に困り感がなく、吃音への支援の重要性を強く感じていた私は、言語通級を強く希望しました。幸い希望が通り、小学校入学から言語通級に通っています。
療育センターの支援は幼稚園卒業と一緒に終了しました。現在息子は2年生です。隔週で言語通級に通いながら、吃音についての学びを広げています。
吃音を当たり前に受け入れ、普通に接してくれる人たちに囲まれた環境の大切さ
私が息子の支援を通して今まで感じてきたことは、環境の大切さです。年少から吃音が出ていたためか、担任のフォローもありつつ、幼稚園ではお友達には当たり前のように受け入れられてきた息子。
誰に吃音を悪く言われることもなく、それどころか「なんでそんな話し方なの?」と素朴な疑問をぶつけられることもなく、吃音を意識せず幸せな環境で過ごせました。
小学校では通級とクラスの担任と連携し、息子の吃音で周囲のお友達に偏見を持たれないよう支援をお願いしています。しかし、不思議なことにクラスメイトたちは、息子の吃音に疑問を持たず、当たり前のように受け入れていると言うのです。
印象的なのは担任の先生が、「みんな本当に聞こえてる?と(良い意味で)疑問に思うほど、あたりまえに待って聞いてくれます」という言葉です。
ときどき素朴な疑問を投げかけるお友達もいますが、「これが彼の話し方なんだよ。ゆっくり聞いてあげてね」と伝えると、理解して素直に応じてくれているそうです。
誰が聞いても普通とは違う話し方なのに、ごく自然に受け入れてくれる子供たちの優しさ、柔軟さは、大人から見てもすばらしいものです。感謝の気持ちでいっぱいになります。
幸福な環境で過ごせてきた息子は、吃音でもおしゃべりが大好きです。「どもってはいけない」と思うような出来事がないのは、本当に幸運なことだと思います。
幼稚園では吃音の自覚がほとんどなかった息子ですが、徐々に自分を客観視できるようになり、また、言語通級での学びを重ねて、自分の吃音と向き合えるようになっています。
これから成長するにつれ、吃音の壁にぶつかるかもしれません。その壁を乗り越える力になるのが、「吃音を当たり前に受け入れ、普通に接してくれる人たちに囲まれた環境」だと思います。
視力が低いひとがメガネをかけるように。吃音もあたりまえに配慮される世の中になってほしい。
わたしは吃音やそれ以外の発達障害について、しばしばメガネに例えます。メガネは誰もが知る100%の認知度を誇る、視力の悪い人をサポートするアイテムです。メガネをしている人を見て「なにそれ、へんなの顔に付けてないで外しなさい」と言う人はいません。視力が悪ければ、当たり前に席順を配慮してもらえます。 吃音についても、認知度がもっともっと上がって、誰もが当たり前に「ああ、吃音なんだな。待って聞いていればいいんだな」と思える世の中になってほしいです。私の願いはただ一つ。おしゃべり大好きな息子が、人の優しさに触れながら、のびのびと幸せな人生をおくることです。(ききた)
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