この記事は約3分で読むことができます。
私は吃音当事者のはると申します。吃音は一般的に「言葉が出づらい障害」という一言で済まされると思います。しかし、私は人生に大きな影響を与えうるものだと思っています。今回は私が幼少期から様々な人と関わる中で吃音について考えてきたことをお話したいと思います。
はじめから読む
「もっとゆっくり話しなさい。」 父に言われ、思わず部屋を飛び出した。
5年生か6年生の時、父に1度だけ「もっとゆっくり話しなさい。」と言われました。
その記憶だけは、今もはっきり覚えています。
小さかったからか、そのことについて多分その時はあまり考えませんでした。
しかし、なんとなく恥ずかしくて、逃げるように部屋から出たような記憶があります。
自分の意見を言うことが好きだった私でしたが、学年が上がるにつれて、何となく自分の話し方が違うことについて意識するようになっていきました。
それ以前、積極性がなくなっていったように思います。
周りの目が少しづつ怖くなったということもあります。
小学校の卒業式で1人1文づつ学校生活の思い出を言うことに…
小学校の卒業式では、学校生活の思い出を1人1文づつ、大声で言わなければなりませんでした。私以外にも多くの吃音者が苦労した経験があると思います。
幸運にも、私は自分が言いやすい言葉を割り当てられました。
本番でちゃんと言えるように当時何度も練習した記憶があるので、今でもその言葉を覚えています。
そして、卒業式本番。
練習の成果が実り、普通に言うことができました。
卒業式で言葉が言えず、それが大きなトラウマになるような事態にはならなかったのです。
この体験談を書いていて、ふと卒業式のセリフを言おうとしてみました。
しかし、27歳の私は難発が出てしまい、もう言えなくなっていました。
残念なような、虚しさみたいなものを感じました。
「どうして君は、先生と話す時に吃ってビクビクするんだ。」
中学校に入ると、吃音の影響が段々と実生活にも出始めました。
将来を不安視し始めたのも、この頃からです。
小学生の時は、先生から話し方について何か言われたことは1度もありませんでした。
吃ってはいましたが、特別何かそのことについて注意されたり、言われたりすることはなかったと思います。
しかし、中学校に入って初めて、部活の顧問の先生から話し方について指摘がありました。
話し方というより、先生にとってみれば私の気持ちや性格の問題だと捉えられたのかもしれません。
「どうして君は、俺と話す時に吃ってビクビクするんだ。友達と話す時は普通なのに。」
急に言われたので驚いて、誤魔化すようにヘラヘラ笑ったことを覚えています。
職員室で先生と話す時、死ぬほど辛かった。
私の部活は毎日朝練がありました。
しかし、委員会の活動もしていたため、朝練に参加できない日が週に1回ありました。
その日は毎週朝練が始まる前になると職員室へ行き、顧問の先生に「先生、今日は委員会があるので朝練には参加できません。」と言わなければなりませんでした。
たったその一言を言うことが、私には死ぬほど辛かったのです。
ただでさえ言葉を発することが苦手なのに、職員室のあの静けさや、声を発した瞬間に他の先生たちが自分に注目するあの感じが、余計に言葉を出づらくさせました。(はる)
この記事へのコメントはありません。