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私は吃音当事者のわのぺんと申します。私は吃音を抱えながらも、あえて人と関わる仕事を選びました。それは吃音を理解してくれる人は必ずいると考えるからです。今回はそんな私の体験談をご紹介します。
吃音に悩むなか、あえて人と関わる仕事を選んだ。
私が話しづらさを意識しはじめたのは小学生4年生頃です。
当初は連発型で目立たないタイプの症状だったため、学生時代は楽しく過ごしていました。
高校生になって進路を考えはじめた時、自分の話しづらさが「吃音」というものだと知りました。
「吃音は治らないから、できる限り人と関わらないで済む仕事に就こう。」
そう考える一方で、その道を選べばずっと人と関わることが出来なくなくなるのではないかという不安も浮かびました。
そう感じた私は、人と関わり続ける仕事である福祉の道を選びました。
「あの時、直感に従って良かった!」
今となっては本当にそう思います。
心無い言葉をかけられて、消えたくなった時もあった。
社会に出てから、吃音の症状は難発型に変わりました。そして、より話しづらさの困難を感じるようになりました。
言いたいことがあっても、最初の言葉が言えなくなりました。
まるで、喉や胸になにかが詰まってるみたいで息苦しく、無理やり発音しようと身体を揺すったり力を込めたりしました。
しかし、やっと発音することができても、早口で聞き取りづらいと聞き返されます。
言いにくい言葉は別の言葉で置き換え、「あの」や「その」でなんとか繋いでも、まわりくどいと言われたり、分かりにくいと言われたりして一蹴される始末でした。
「ロボットみたいな話し方やな」「歌いながら話せば?」「一体何が言いたいの?」「頭おかしいんとちゃう?」
心無い言葉をかけられ、冷ややかな目線で見られることも多々ありました。
恥ずかしくて、情けなくて、悔しくて。
死にたいとは思わなかったけれど、この場から消えてしまいたいと何度も思いました。
吃音で悩んでいても、つながることを諦めないで。
「自己肯定感が大切。」「自分に自信をもて。」
私はずっとそんな言葉が大嫌いでした。
世間は私の言葉を、私の存在を否定するのに、肯定感や自信を持てだなんて!
なんて無情で、勝手で無責任なんだ!そう感じていました。
今では人として生きていくために、とても大切なことだと理解しています。ただ、安易にこのような言葉を使わないように心がけています。
今この時も吃音で苦しんでいる人に、私がお伝えしたいことはひとつです。
「つながることを諦めないでほしい」
これだけです。
吃音がない人に吃音の症状を理解してもらうことは、本当に難しいことです。
心無い対応をされることも多いと思います。
辛い場所や、嫌な人からは逃げてもいいと思います。安心できる場所に引きこもったってかまわないと思うのです。
しかし、私たちのつたない言葉が、思いがけず相手の心に響く瞬間、心を撃ち抜く瞬間があることは事実です。
まるで小さな子どものつたない歌や演奏のように。
私はそんな瞬間を何度も体験してきました。
「〇〇をやりたい!」とか「この人の力になりたい!」とか、根底にあったのは強い想いと行動です。
想いのままに行動で示せば、どんなにつたない言葉でも相手に伝わります。
その積み重ねが私に小さな自信の芽を与えてくれました。
吃音を理解してくれる人は必ずいる。
話しづらさをバカにする人もいれば、その裏にある想いや行動を理解してくれる人も必ずいます。
吃音があったって誰かと心からつながれるのです。
逃げたってかまわない。でも、どうか諦めないでください。
コミュニケーションは「話し方」だけで決まるわけではないのです。
吃音者だから人と上手く関われない訳でもありません。
吃音を言い訳にして自分の可能性を否定し、関わりから逃げまわっていたのは私自身でした。
「吃音がある私」を1番見下していたのも私自身でした。
そう気づけた時には40歳手前になってしまいましたが、今は仕事に趣味に没頭して、全力投球で楽しんでいます。
これまで辛い経験もありましたが、幸運にも執拗ないじめや嫌がらせを受けたことはありません。
本当に出逢いに恵まれていたと感じます。
これまでの多くの出逢いに感謝!そしてこれからの出逢いも楽しみです。
私の体験が、今吃音で苦しんでいる人たちにとって、少しでも力になれば幸いです。
ご一読いただきありがとうございました。(わのぺん)
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