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今回は、吃音歴30年の私が「吃音」をもって生まれてよかった!と感じることを紹介したいと思います。この記事によって、吃音を持っている方が吃音をポジティブに捉えられるきっかけになれれば嬉しいです。また1人ひとりが自分に置き換えて、吃音によって得た長所を1つでも見つけられることを祈っています。
①社交的で明るい性格になったコト
自分でいうのもアレですが、私はどちらかというと社交的な方ではないかと思います。
リラックスした雰囲気を作ることによって、親近感を持ってもらいやすいかなと自己分析しています。
なぜこの長所が生まれたかというと、リラックスした雰囲気や緊張感のない雰囲気の方が、喋るときに吃りにくいと無意識に感じていた結果だと思います。
もちろん、吃音は緊張しなければ吃らないというものでもないです。
しかし、緊張感のない雰囲気の方が個人的には”吃りにくい”と感じています。
だからこそ、例えば初対面でお互いに緊張するような場面でも、喋りの部分以外で相手に信頼感・親近感をもってもらえるような身だしなみ、表情、仕草などに気を付けています。
②努力の原動力がはっきりしていた
これは一言で「舐められたくない」ということに尽きます。
これだけ聞くと、まるでヤンキーのようですが、私は決してヤンキーではありません。
しかし、学生時代でも社会人でも、どうしても話すことにハードルがあるので、それ以外のところで価値を発揮するということが重要だと考えていました。
このように、努力することに対しての原動力がはっきりしていたので、努力の理由について迷う時間がなかったことは吃音を持っているメリットかなと思っています。
③自分の武器を考える機会が多い
そもそも私は吃ってしまうことにより、人よりスラスラ話せません。
「だったら、他の武器はなんだろう。」
社会に出た時に「自分で生きていくためには・人に貢献できることはなんだろう」 と考えることが多かったように思います。
仕事を探すにも「喋ることがメイン」の仕事は除外する。例えば、司会者、コールセンター、店舗アナウンス、声優などです。
それ以外にできることはたくさんあるし、むしろ喋ることがメインの仕事はほんの一部です。
「喋ることがメイン」の仕事だと、どうしても自分が劣勢になってしまいます。
そのため、私はいい意味で逃げることにしました。
自分が戦えるフィールドで勝負して、価値を発揮することが大事だと思っていたからです。(なお、仕事に関してはあくまで個人的な意見ですので、これから喋ることがメインの仕事を目指したい方がいたら申し訳ありません。)
ここまでで、自分が吃音でよかったと思うことを3点ご紹介しました。
吃音で日常生活に困ることもあるけれど、今はそこまで悩んでいません。なぜなら、悩むような環境からあえて”逃げて”きたから。
逃げたことによって、今では充実感や幸せを感じています。これは自分に合わないフィールドにいたら味わえなかったことです。
いつまでも同じ場所で悩んでいたら先に進めないし、自分も成長できません。
小さな頃から、逃げることは悪いことのように教えられていますが、私は逃げることはむしろ必要なことではないかと思います。
誰しも自分に合わないこと、努力ではどうしようもないことがあるからです。
そこで悩んだり、病んだりするくらいなら、いっそ逃げた方がいいと思います。正に「逃げるは恥だが役に立つ」だと思います。
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