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独立して、コンサルタント業とセミナー業をしている、ういと申します。吃音を「あなたを苦しめるもの」から「あなたの良さとして輝かせてくれるもの」にしたい。そんな思いで、今回この場をお借りして書かせていただきたく思います。
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吃音で苦しかったがゆえに自然と培われたものが、今では自分の持ち味に。
人の話を聞く姿勢 、話すことで生み出される空気感への繊細な意識、人に対するちょっとしたフォロー、コンプレックスや生きづらさを抱える人の気持ち、できないことは他力に頼って前に進めること。
そのような、吃音で苦しかったがゆえに自然と培われたものが、今では自分の持ち味となって発揮されています。
吃音を持たない人から「 どうしてそんなことが、その質でできるの!? 教えてほしい!」と言われるほどです。
この状況下で、オンラインでのコミュニケ―ションが当たり前になってきたということもあります。
対面でのコミュニケーションは、吃ったときの生々しい反応がありますが、オンラインでのコミュニケーションは、自室から対応するためリラックスできるからです。
他にも、吃音当事者にとってオンラインのメリットはたくさんあります。例えば、メールや投稿などのテキスト、つまり視覚情報の割合が格段に増えたことも挙げられます。
スマホやPCの恩恵にたくさんあずかりながら、自分の心地いい、自分の楽しい状態で、自分だからこそ経験したものや感じたものをアウトプットできています。
そして、それが誰かに喜ばれるのです。
もちろん、ある程度の注意事項はあります。しかし、吃音者にとって自分の経験や感性を元に活躍を後押ししてくれている環境があります。
今はそんなありがたい時代でもあるなと感じています。
大切なのは、吃音でも出来る方法があるかもしれないと思ってみること。
前回の質問に戻ります。
あなたは「吃ることそのものが嫌なのか?」それとも「吃って自分が辛い思いをすることが嫌なのか?」
私は、吃ることで自分が辛い思いをするから、吃音が辛いのだと考えます。
吃音は治せるという方もいらっしゃいます。 それも、あなたが辛い思いをしないことが大きな目的としてあるはずです。
吃るだけで死ぬほど恥ずかしいのに、笑っていられるわけがない、想像すらできないと思うかもしれません。
しかし、そうではない世界も現実にはあるということは、できたら知っておいていただけたらうれしいです。
吃らずに、流暢に話せることに憧れや妬みを感じることもあるかもしれません。
しかし、たとえ吃っていても「吃って苦しい自分」 になるか「吃っても自分のやりたいことができる自分」になるかは誰でも選ぶことができるのです。
「もし、吃音じゃなかったら◯◯したいのに…」と叶う可能性が低いと思っていることでも、そうとは限りません。
かつての私は、人前で話すなんて絶対にムリだと思っていました。仕事なら、なおさらです。
しかし「吃音だからできない」ではなくて「吃音でもできる方法があるかもしれない」と思ってみることが大切です。
そう思えたなら、それは大事な一歩です。
そのことがきっかけで、 あなたに喜びをもたらす可能性が各段に大きくなるからです。
吃音を理由に、これまであなたが抑え込んでいた、あなたの良さや、あなたならではの魅力を発揮するための、大きなきっかけになるはずです。
吃音をあなたの良さとして輝かせてくれるものに変えるのは、自分次第。
辛い苦しい部分もあれば、必ず喜ばれ愛される部分もあります。
コンプレックスや生きづらさを感じる部分は、対応次第でその人にしかない大変強く輝かしい魅力に変わります。
吃音のせいだと嘆いてきたことは、何百回とあったと思います。
しかし、吃音を「あなたを苦しめるもの」から「あなたの良さとして輝かせてくれるもの」に変えることができるのは自分次第であり、誰にでも可能なのです。
その可能性が、 あなたにもあるということだけ、どうか心の隅に置いていてくだされば幸いです。
後は、あなたにとって最も良いタイミングで、吃音の苦しみから解放されるためのきっかけに恵まれて行動を起こせることを心より祈っております。(うい)
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