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独立して、コンサルタント業とセミナー業をしている、ういと申します。吃音を「あなたを苦しめるもの」から「あなたの良さとして輝かせてくれるもの」にしたい。そんな思いで、今回この場をお借りして書かせていただきたく思います。
小学校1年生、 恥ずかしすぎる変な特徴が自分にあることを自覚した。
小学1年生の夏休み明けのこと。国語の授業中に本読みをした時、吃ってしまいました。
その時、私は他の人とは違う、恥ずかしすぎる変な特徴(吃音)が自分にあることをはっきりと自覚しました。
その後20年ほど、いろいろな辛い経験をしたり、改善されない吃音と付き合うために様々な工夫を重ねたりしました。そして、吃音さえなければ…!と思い続けて生きてきました。
ところが最近、自分の吃音に関して大きな変化があったのです。
実際は吃っているのに、周囲から「えっ、全然気づきませんでした!」と言われるのです。
知らない人がたくさんいる前でも、セミナー講師や顔出しライブ配信や司会など、人前で話をすることが楽しくて上手ですね、と喜ばれるほどです。
また、自分が吃音当事者であることを忘れてる時さえあります。初めてそれに気づいたとき、吃音の恐怖や呪いから抜け出して子供の頃に憧れていた状態になれたのかなと思いました。
吃音は長いこと、私を苦しめるものでした。しかし、今ではそうではないと確信しています。
吃音という、他人から見て分かりやすい表面的なベールの中に、とてつもない宝物や魅力が隠れていたからです。
実際、それを周囲から喜んでいただいてる現状があります。また、実際それでお金をいただいているのです。
自分が傷つかないように黙る選択をした。
吃ってしまったときの、あのなんともいえない「やってしまった感」。
沈黙の凍り付いた空気。
格好のいじられネタとなることを予感させる、相手のバカにしたような表情。
周囲のたくさんの人から向けられる、冷たい呆れた目線。
子供の頃は直接的な言葉や態度で、大人になってからは、口にはしないけれど雰囲気で、はっきり伝わってきます。
さーっと人が引いていくような、自分だけが孤立するような感覚。
なかったことにしたい、悪夢でありますように、 隠れてしまいたい、透明人間になりたい、そんな思いに駆られました。
そんなものを私に運んでくる、この変な特徴(吃音)は当然、私への嫌がらせでしかありませんでした。
何か発言したら、また吃るだろう。そして、また嫌な思いをするに決まっている。もう黙っておこう。
そういう気持ちが子供心に影響を及ぼしたのも、当たり前だと思います。なぜなら、自分を守るためにそうしなければいけなかったからです。
吃った時、そこにどんな恐怖心や理由があったとしても、年齢がいくつであったとしても、吃ったその瞬間は誰も守ってくれないですからね。
私が吃ったあと、何事もなかったように接してくる人はいるかもしれません。また、幼稚園の先生のような態度で私の話に耳を傾ける人も、たまにはいるかもしれません。
しかし私が吃った瞬間、私が傷つかない方法で守ってくれることは、吃ることで傷ついた経験のない人には、なかなか難しいことだと思います。
そのため、これ以上自分が傷つかないように自分を守らなければいけないと、小学生ながらに無意識に思っていたのでしょう。
迷惑な子にならないように、目立たないように…
とにかく、自分が辛い思いをしたくないということが最優先事項でした。
話す機会を最小限にしたいと思うあまり、言いたいことや思ったことを心の中にぐっとしまい込むようになりました。
そして、私は静かで無口な女の子であり続けました。話しかけられても愛想笑いでごまかすようになりました。
吃る不安のない、ひとりで過ごす時間を自ら求めるようにもなりました。迷惑な子にならないように、目立たないようにしなければと思っていたからです。
また、吃る機会が1つでも減りますようにと願いました。
絶対に吃ってしまう名字は、絶対に言いたくありませんでした。そのため、苗字を名乗る必要がある自己紹介や固定電話での通話や、お店の予約や飲食店で待つときに店員さんに名前尋ねられることなどは、もう天敵どころか、まずやりませんでした。
また、社会人になったときは電話対応が辛くて毎日半泣きの状態でした。
話すことで、吃ってしまい相手に嫌な顔をされないように、必死に自分の感情や気持ちを伝えないように我慢していました。
興味のないふりをして「自分は害のない人間であるアピール」をするのに必死でした。
今思うと、かえって怪しいと思うのですが、当時は自分なりに毎日必死に闘ってた記憶があります。(うい)
(つづく)
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