高校時代、吃音の予期不安で大ピンチ!その恐怖を救ってくれた友達の行動 - HAPPY FOX

高校時代、吃音の予期不安で大ピンチ!その恐怖を救ってくれた友達の行動

  1. 吃音の体験談
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今回私がお話しすることは、吃音症で1番苦労して悩んでいた高校時代の体験談です。人前で苦手な言葉を言わないといけなくなり、予期不安でピンチだった私を救ってくれた友達のことについてお話したいと思います。

高校に進学したら吃音が悪化した理由。

高校に進学したら吃音が悪化した理由。

高校生になると、中学生の時よりもアイデンティティが確立されて、周りの目を気にするようになってくると思います。

私の吃音が酷くなったタイミングは、ちょうどその頃のことでした。

自分でそう思っているだけかもしれませんが、中学生の頃よりも重症度が上がっていたと思います。

1番の原因は環境が変わったことだと思います。

吃音当事者の人なら分かると思いますが、吃音と新しい環境は相性が悪いのです。

非吃音者でも環境が変わる4月が嫌いという人も多いと思います。しかし、吃音者の場合は想像しているよりも更に嫌いです。

なぜなら、自己紹介があるからです。自己紹介は新しい環境では避けて通れません。

もし自己紹介で吃れば、それから3年間の高校生活は台無しになってしまいます。

吃音症だとバレることはなくても、落ち着きがない、緊張している、口だけ動かしている、など普通の人とは違うように見られてしまいます

それが辛く、吃るのが怖かったのです。

罪悪感を感じながら、言葉が出ないときは聞こえなかったフリをして聞き返した。

言葉が出ないときは聞こえないフリをして聞き返した。

幸運にも、私の高校では先生が生徒の名前を順番に読み上げてくれました。そのため、生徒1人1人が順番に自己紹介をする必要はありませんでした。

しかし、友達を作る時には誰かが代わりに言ってくれるはずもなく、吃りそうになりながら話しかけていました。

話しかける時は緊張するので、いつもよりもひどく吃りそうになります。そのため、気持ちを落ち着かせて話すことを心掛けていました。

そうすることで、吃ることなく友達を作ることができました。

友達と話すとき、初めは緊張します。しかし、話してしまえば後は話すしかないので、多少の言い換えはしますがスラスラと話すことができました。

また、言葉が出ないときは聞こえなかったフリをして聞き返して、自分の言いやすいタイミングを計っていました。そのことが、正直辛かったです。

なぜなら、本当は聞こえてるのに言えないから友達に聞き返していたからです。

プールの授業で予期不安発生!苦手な音を言わなければいけない状況に陥り大ピンチ。

吃音症で自分の記録タイムが言えなかった。

友達作りはどうにかなりましたが、高校時代に吃音症で最も焦ったことがありました。

それは、プールの授業で起こりました。

私は当時、吃音症について誰にも話したり相談したりせず、隠していました

私が通っていた高校のプールの授業では、ある決まりがありました。

それは、自由形で泳いだあとにタイムキーパーに聞いた記録を覚えておき、授業の最後に先生から順番に名前が呼ばれた時に自分の記録を言うことになっていたのです。

おそらく非吃音者からすれば、ただ言うだけで簡単だと思われるかもしれません。

しかし、吃音者は記録を言うこと自体が難しいのです。

なぜなら、言いたくても言葉が詰まってしまうからです。

無理に言おうとすると、言葉は出ていないのに口だけが動いてしまったり、言葉の頭文字を連続で発してしまうこともあります。

吃音者は、その話し方に恥ずかしさがあるからこそ隠したり、言い換えたりして過ごしているのです。

その日の私の記録は20.25でした。

私はナ行を言う時によく吃ります。20と言いたくても「に、に、ににぃぃぃじゅう」という声になってしまうのです。

この記録を聞いたときは「あ、終わった」と思いました。それと同時に、もう少し早ければ19秒だったから吃る心配もなかったのに、と訳の分からない後悔がありました。

クロールで泳いだので、19秒まではもう1クロール、それかもう1バタ足でした。笑

心臓がバクバクと鼓動音が聞こえました。

全員の計測が終わって授業終盤に行くにつれて、心臓の鼓動音が聞こえるくらい緊張していました。

友達と話していましたが、記録を言うことで頭がいっぱいで友達との会話は上の空でした。

いよいよ、僕の順番が近づいてきました。

自分を落ち着かせるように、自分のタイムを心の中で何度も唱えていました。

前に呼ばれた友達が23秒63のことを「にーさんろくさん」と言ったのです。

その時、私は衝撃を受けました。

その言い方があったのか、正式な言い方でなく砕けた言い方でもいいんだと思い、頭の中で急ハンドルを切り、砕けた言い方を採用しました。

そうしたことで、無事に言うことができ、そのまま次の人にバトンが渡りました。

その時、私は友達に救われた気持ちになりました。

あの時、友達がその言い方をしていなければ、私はどうなっていたか、想像したくもありません。

これは私の高校生活の一部に過ぎません。しかし、長くなったので今回はこの辺にしておきます。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

当時高校生だった私が吃音で悩んで苦しみ、そしてあらゆる工夫をして乗り越えた体験談を、1人でも多くの人に読んでいただければと思います。

そして、読者の方へ少しでも勇気や自信、励ましになれれば嬉しく思います。

またどこかでお会いしましょう!きっと再開する日は近いですよ!

吃音に負けるな!ありがとう!さようなら!

Yuu

Yuu

大阪出身。小学生のときに吃音が出始めました。大人になった今でも吃音がありますが、自分なりに向き合ってきました。主に人生で起こった吃音に関わる出来事を執筆しています。

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