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私は吃音を抱える娘(16歳)の母、蝶になりたいと申します。娘は吃音による無理解によるいじめを受けて不登校を経験し、現在は通信制高校で楽しく過ごしています。私は娘と歩んだ道のりを通して、 娘がフィットする場所に環境を変えても良いと思っています。今回は、私がそう思うに至った体験談をお話します。
早い段階で娘の吃音に気づいた。
早期胎盤剝離を乗り越え、予定日より1ヶ月早く愛娘は誕生しました。
言葉の爆発期に違和感がありました。発達が緩やかで発話も遅めだったからです。
私は早い段階で連発吃音ではないかと気づきました。しかし、この頃はまだ辛い未来が待っているとは思いもしませんでした。
幼稚園年少の時、娘は言葉の教室に通い始めました。
その判断が正しかったのかは、未だ分かりません。通級に繋がることへの妙な葛藤に悩む日々でした。
この頃、娘は身内に傷つけられる辛さを体験しました。祖父母から心無い言葉を投げかけられたのです。
「どうして○○はそんな喋り方なの?直しなさいね。」
私の身体はこの頃から壊れ始めました。
教師からの無理解やクラスメイトからのいじめに苦しむ日々。
娘が小学校に入ると、私は吃音について分かる人が居ない現実に愕然としました。
間違った対応を回避するために専門家の本を探したり、言語聴覚士へ相談したりしました。
娘の吃音対応を学校にお願いしたこともありました。しかし、これが私の気力や体力を消耗する過酷な生活の始まりでした。
そう感じたのは教師の対応でした。
教師に吃音を理解してもらうことは難しく、私が頼んだ娘の吃音対応は忘れられ、生徒達からも真似されからかわれてしまったのです。娘にとって音読は地獄そのものでした。
それでも、母である私は前を向きました。
娘が得意なことや好きなことを習い事で補い続けました。
幼稚園からバレエを習い、娘が輝く姿を見守りました。また、高学年ではピアノも始めて、娘は両手両足を使う音楽を楽しめるようになりました。
そんな時、娘は吃音を忘れて、自分を表現できる芸術に惹かれていた感じがします。
心が綺麗な娘は私の誇りです。言葉が苦手だったせいか、いじめや理不尽なことが許せない、人を助けたり寄り添えたりする心が育ちました。
正直者が損をすることも体で覚えながらも、正直に生きる真面目な子になりました。
そんな娘の心は成長するにつれて、次第に繊細さを増していきました。
ある日、そんな娘の心は潰されました。残酷ないじめにあってしまったのです。
体操着を捨てられたり、呼びつけられたりした恐怖と心の傷はいまだに消えてません。
仲良しの子から吃音についていじめられ、学校を去ることに。
中高一貫へ入学した娘は、小学校での傷が癒えないながらも、勉強も部活も頑張って楽しい生活を送っていました。
中学3年生の時、仲良しの子から吃音についていじめを受けました。結局、娘はその学校を辞めることになりました。
学校を辞める決断をしたことは、想像を超える辛さでした。不登校、別室登校、夜間対応を経ての退学でした。娘は悔しくて、辛くて狂っていました。
全日高校に転校したあと、娘は親友だと思ってた友達に吃音についてカミングアウトをしました。
「は?喋れてるじゃん、意味わかんないんだけど?」
そう言われて、翌日から娘は避けられてしまいました。
吃音があるため、言葉数では圧倒的に不利な立場でした。そして、同調圧力にやられて1人にされました。
結局、娘は不登校から引きこもりになってしまいました。
その時のことは地獄を張うように生きていたため、記憶すらありません。
いっそ母子で消えてしまおうか
この時、娘は吃音からの2次障害を発症しました。吃音は娘をここまで追い込む障害だったのです。学校側の理不尽な対応に親子共に潰れて病んでしまいました。
吃音を理解しようとしない教師の対応が非常に問題だと、悔しさをぶつけたこともありました。
そのような事態になっても私は仕事は辞めませんでした。しかし、これが人生が狂った決断となったのです。
当時を思い返してみると、母として頑固に働く姿を見せなくては、という呪いにかかっていたのかもしれません。
4ヶ月間以上引きこもりの娘を家に置いて仕事に行くことの現実に、私の心は壊れていきました。 いっそ母子で消えてしまおうかと考えることさえありました。
娘がフィットする場所に変えても良い、そう思えた。
そんな中、ある出会いがありました。娘が通っていた塾の先生です。
「全日普通科高校を受験してみないか?」
塾の先生に言われたことで一筋の光を見出した娘は勉強を始めました。そして見事合格したのです。
ところが、6ヶ月後に退学をしてしまい、すぐに通信制校へ転学することになりました。
親も慣れるもので、退学に迷いはありませんでした。私は不覚にも成長した自分に気が付きました。
しかし、娘にとっては環境を変える代償はとても大きいものでした。出会った人達との別離があったからです。
しかし、私は娘がフィットする場所に変えても良いと思えました。居場所はあると信じていたからです。
通信制高校に通いながら大学進学を目指している娘
娘は今、通信制高校だからこそ出来ることを精一杯楽しんでいます。そして、私は大学進学を目指す娘を応援しています。
吃音は多種多様で感じ方も千差万別です。しかし、共通して社会に望むことは理解と改善ではないでしょうか。
吃音は見えない障害です。想像もできない苦労があるでしょう。それゆえに誤解が付きまとうのだと思います。
娘のようにギリギリで生きる吃音者がいることを知って欲しいと思います。吃音者が恐怖と戦う日常を理解して欲しいのです。
行政機関などの窓口に「筆談賜ります」という案内を目にすることがあります。これは吃音者にも対応していいのではないかと大きな声で言いたいです。総務省の電話リレーサービスについても吃音者も必要としてます。
世の中に、吃音の正しい理解が進むことを望みつつ、私や娘ができることを考えて生きていきたいと思います。(蝶になりたい)
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