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吃音には連発、難発、伸発の3種類があるが、私は約8割連発で残りの2割は難発が出る吃音当事者である。正直、何才から吃音を発症したのか記憶にないが、母親曰く幼稚園児の時にはすでに吃音が出ていたそうだ。
今回、吃音症に悩む当事者、またその家族の心の支えになれるならと、吃音症で藻掻いてきた私の半生の経験を記事にしたいと思う。
吃音症になるきっかけと思われる幼少期の記憶
今でも思い出す度に胸が苦しくなって消えることがない幼少期の記憶がある。
私は3才の頃、父親の実家に父の親と2世帯で2階建ての1軒家に暮らしていた。家族構成は私からみた祖父母、父母、私、弟の6人で祖父母は2階、私達家族は1階に住んでいた。
この時、私は幼稚園に入学したばかりで、幼いながらに周りの園児に心を閉ざしていた記憶がある。
なぜ心を閉ざしていたのか、それは夜中に必ず祖父母と父母がケンカをしていて、耳を塞いで心の中でケンカしないでと叫んでいたからである。
父と母は祖父母との相性が合わず、出ていくと口論していたそうだ。私はその喧嘩を耳にするたびに人と話すことが怖いと思ってしまい、幼稚園でも席に座らずに教室の出入口付近に立って授業を聞いた。
周りから見たら変わった子に見えたんだと思う。案の定、友達もいなかった。
そして祖父母と相性が合わないことを理由に私が5歳の頃、父親の実家から家族で引っ越した。
喋り方が変なんだと気付かされた瞬間
引っ越し先の小学校に入学した。
隣の席の女の子が授業中に私の腕を鉛筆で刺してきた。私は何故か止めてと言うことができなかった。
ある日、授業中に隣の席の女の子が先生に向って「〇〇(私の名前)がカンニングしてきます!」と叫んだ。
それを聞いた先生は「この子は言葉が変で何を言っているかわからないから無視しなさい」と女の子に言った。
助けてくれると思っていた先生からそんなことを言われると思ってもいなかったし、クラスメイトの前で言われたことで、バカにされる対象になってしまった。
その日は悲しくて泣きたかったが、親を心配させてはいけないと思い、太ももを血が滲むぐらい抓って涙が出るのを堪えて帰途した。
また、その時から言葉が詰まってうまく喋ることができず、周りの子と何か違うと気付くようになったことを今でも鮮明に覚えている。
学生時代のアルバイトから社会人になるまでの体験
小学生からは友達はできたが、幼少期の体験から本心で誰かを信用したことはなかったと思う。
吃音も幼少期より悪化していて、自分の名字すらまともに言えたことがなかった。それでも負けたくないと思いスーパーのレジ打ちやコンビニなどの接客業のアルバイトした。
しかし、吃音が原因でクレームになり、その度に自信を失い辞めてしまった。そして聞き取ろうとしないお客様が悪いと、お客様のせいにして逃げていた。
高校生活3年間で、5回はアルバイト先を変えていたと思う。
社会人としてスタートしたが…
電気関係の専門学校を卒業し、社会人としてスタートした。
しかし、学生時代から嫌なことがあっても吃音のせいで言い返せない、他人のせいにして逃げてきた癖から抜け出せず、嫌なことがあるとすぐに辞めては転職をするサイクルを繰り返していた。
また当時は吃音持ちであることをカミングアウトできずに隠して入社していた為、「社会人としてまともに話せないのか、社会人としての言葉遣いができないのか!!」とよく上司から怒鳴られていた。
自分からカミングアウトしていないにも関わらず、怒鳴る上司が悪い、クレームを出すお客様が悪いと決め付けていた。
製造業、営業、配送、接客業と多様な職業を経験してきた。しかし、どれも長続きせず転職を繰り返していた。
転機が訪れたのは私が30歳の時だった。
当時、私はビル管理の仕事をしていた。ビルに常駐し、ビルに付帯するあらゆる設備の維持管理をする仕事で、安月給ではあるが、比較的お客様と会話することが少ない仕事だったので長く勤めることができていた。
常駐先のビルには飲食店などのテナントも入っており、料理長クラスの方々と接する機会もあった。
ある日、テナントに入っていた飲食店の料理長から仕事に対する姿勢や、吃音でも一生懸命な姿に対してお褒めの言葉を頂いたことがあった。
どうやら、吃音に対する知識があったようだ。私は褒められることが初めてだったので、すごく嬉しくて嬉しくてその夜は興奮して寝れなかった。
その日を境に、何をしたら喜んでもらえるのだろう、気持ちよく挨拶をしようと気持ちを切り替えるようになった。
トラブルがあっても自然と他人のせいにすることもなく、吃音であることに誇りを持ち仕事に励んだ。訳あってその会社は退職し、現在他社のビル管理会社で設備の仕事に従事しているが、吃音持ちであることを隠さずオープンにしている。
そして吃音をオープンにするだけでなく、吃音があってもこんな努力してきました、これができます、と自分を売り込むように心がけ日々努力している。
半生を振り返り伝えたいこと
吃音当事者は、将来社会に出たら吃音で上手に話せるか、相手が聞き取れるか、面接で吃らず説明できるか、とにかく不安だらけだと思う。特に社会という場所は責任を背負わなければならない。
やりたいことがあるなら勉強もしなければいけない。 不安しかないだろう。 しかし言葉に詰まるだけなのだ。
言葉に詰まるだけで他のことは何でもできる、そして学ぶことが出来る。
小さなことかもしれないが、私は吃音で相手に不快感を与えないように顔のマッサージや口角を上げるストレッチをして優しい表情を意識するようにしている。
吃音をカバーできることはたくさんあると思う。吃音だからできないと考えるのではなく、吃音だからやれることを探せるのだ。
自分自身を好きになれた時、仲間がいて助けてくれる人が必ず側にいることに気付く。
自分を嫌いな人に誰も近寄ろうとは思わないだろう。まずは自分を好きなる、小さな勇気と行動力を持つ、それだけで吃音で苦しんだ人生から開放され笑顔になれると私は信じている。
この投稿が皆さんの何かの役に立てたら幸いだ。(カネキチキンタ)
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