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吃音を抱えていると人との違いに悩んだり、人と自分を比べて辛くなってしまったりすることも少なくありません。学生時代、私もそんな悩みを抱えていた吃音当事者の一人でした。
人と違うことを受け入れられるようになるには、とても長い時間がかかりました。それはまるで、土に種を蒔いて水を与え、新芽が出て、やがて花が咲くような長い道のりでした。
今回は人との違いを受け入れるという花を咲かせるために、私が子どもの頃に親が蒔いてくれた種についてお話したいと思います。
親と一緒に行った図書館。世の中には自分と違う人々がいることに気がついた
1992年、私は吃音を持った母のもとに生まれました。生後2歳の頃に発吃した時、母は「吃音が出始めたな」と思っただけで自然に受け入れることができたそうです。子どもの頃の私は何に対しても「なぜ?」と興味を示す子だったそうです。そして、とても本が好きな子どもでした。
本が好きなことがわかると、母はよく私を図書館に連れて行ってくれました。小学校に上がると、伝記やドキュメンタリーを読み耽っていました。
本を読んでいると世の中には自分と違う人々がいることに気がつきます。本を通して、世界には色々な肌の色を持った人がいること、人にはそれぞれ違った背景があり、逆境を乗り越えて生きる人が沢山いることを学びました。
「障害者が書いた本だから」大好きな本が否定された日、母がかけてくれた言葉
数ある本の中で私の一番のお気に入りだった本は「はしれムンシー!」という本でした。ひとりぼっちの子犬が新しい犬の家族に出会うというストーリーも面白いのですが、挿絵の鮮やかな色使いが小学1年生だった私の心を捉えました。
ある日、図書館の机で「はしれムンシー!」を読んでいると同じ年くらいの男の子がやってきて、「その本は障害者が書いた本だから読むのをやめたほうがいいよ」と言われました。「はしれムンシー!」は重い知的障害をもつ子どもの施設、止場学園の子どもたちが挿絵を描いていたので、そのことを言っていたのでしょう。
私が吃りながら「なんで?」と質問すると、その子は驚いて去って行きましたが、私の心には疑問なのかよく分からない感覚がずっと胸に残りました。何より、大好きだった本をそんな風に言われて憤りの気持ちが強かったです。
その日、家に帰って母に「はしれムンシー!」がいかに素晴らしい本か一生懸命伝えました。母は「絵が面白くて、いい本だね」と言ってくれて胸のつかえがスーッと消えていったことを覚えています。
自分が人と違うことを受け入れるという花を咲かせるためには、まず自分自身が他の人の違いを認める必要があります。色眼鏡を通さず他人の違いを認められるようになったのは沢山の本に出逢わせてくれた母のおかげだと思っています。
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