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初出社で遅刻。焦りの感情が先行したおかげで吃音が出なかった
2008年1月11日(金曜日)、渋谷の道玄坂にあるITベンチャー企業に転職しました。派遣会社のように、開発現場に客先常駐するタイプの企業です。
入社日当日、出勤時間を間違えてしまい遅刻してしまいました。ちょうど同期入社のメンバーが自己紹介をしているときに会社に到着して、焦りと罪悪感でいっぱいの中いきなり自己紹介をすることになりました。
普段は自己紹介と聞いただけで緊張が走り、体全体がカチンコチンに固まるのですが、その時は 全く緊張せず吃らずに落ち着いて話すことができました。 人は複数の感情を持つことが難しいため、早く行かなきゃという焦りの感情をもっていたために緊張の感情が湧かなかったからだと思います。
「何を言っているのか分からないよ」役員から伝えられた辛辣な言葉
自己紹介無事に切り抜けたあとは研修が行われました。社内研修は、簡単なシステムを開発することや、ビジネスマナーや業界用語の説明、ハードウェア、 SQLなどといった開発現場にアサインするために必要な知識や技術を講義形式で叩き込まれました。
また、始業前にはその日の予定、終業前はその日何を行ったかと進捗の確認を報告しました。役員か教育担当者のどちらかが司会し、他の同期入社メンバーと向かい合わせで行いました。
吃音があるため、最初の第一声で度々連発しましたが、何とか切り抜けました。進捗通りに進んでいなかった場合は、役員からシビアな突っ込みがきて、より強い緊張感に苛まれました。
あるとき、役員から「何を言っているのか分からないよ」と怒り気味に言われ、その時は頭の中で考えて吃りながらも言い換えをした記憶があります。
緊張感から吃音が出なかった客先での面談。
上司から「うまく話せたね」
研修中で特に印象的だったのが三週間に渡って毎週行われたプレゼンテーションでした。私はスライドを作成し、社長、教育担当者、他の同期入社メンバーの前で喋りました。
三回目のプレゼンテーションの時に、入社メンバーの中で私だけがやり直しを命じられました。後でスライドを見返すと、そのスライドの作成がうまくなかったからだと思いました。
発表をやり直した後、社長から「喋るのは苦手なのか?」と訊かれました。私は「うーん」と首を傾げてごまかしましたが、既に吃音を見透かされていたと思います。
研修期間中に客先である開発現場のリーダーと面談を行いました。当時の私はシステム開発における実務経験は全くなかったのですが、実務経験が無いと開発現場に参画することができないと言うことから会社ぐるみで下駄をはかされ、3年程度の経験があるように装った上で経歴を説明しなければなりませんでした。いわゆる経歴詐称を会社ぐるみで行っていたわけです。
事前に何度か面談に向けて説明する練習を行いましたが、練習中は吃音のせいで何度も口ごもりました。早口だったからかもしれません。しかし本番では吃らず、口ごもらずに説明できました。
当時は吃音の性質については何も知りませんでしたが、私の場合は適度な緊張の中の方が話しやすくなるようでした。もしくは、いつもよりゆっくり話したから良かったのかもしれません。
役員や先輩から「うまく話せたね」と言われ、何とか現場に参画することができました。
周りに圧倒されて感じた劣等感と絶望
2008年3月3日に開発現場に参画しました。開発現場は広く、豊洲にあるビルの一つのフロア全体で体育館2個分ほどの広さがありました。
はじめは先輩から教わったことをメモにすべきだったのですが、私は一切メモを取りませんでした。なぜなら、前職においてはメモを取らなくても覚えられたからです。しかし、メモを取らなかったために同じことを何度も質問することになりました。
同じ質問をする人は仕事のできない人の典型です。案の定、先輩から「メモを取れ」と注意されてしまいました。先輩との信頼関係が崩れたのはここからだったと思います。
また、開発現場の雰囲気に圧倒されてしまい劣等感や絶望感に苛まれました。自分は未経験なのに、みんなは経験者ばかりで仕事のできる人しかいないと思ったからです。
この劣等感から無口になり、報連相もできなくなりました。ビジネス上のコミュニケーション能力が欠如していると判断されましたが、吃音があったことで自分から積極的に話しかけることが難しかったことも原因だったと思います。
ある日、誰も聞こえないであろう離れた場所まで先輩に連れられました。報連相ができていない、吃りは気にしなくても良いから質問には3秒以内に的確にこたえるようにと言われました。
コミュニケーション能力についての説教を何度も受けました。 開発現場のリーダーからの信用も失い、結局参画からわずか1年半で開発現場を離れることになりました。
自分の命を守るために至った結論
2009年7月中旬より話し方教室に通い始めました。そこではスピーチが主体だったため開発現場におけるコミュニケーションとは程遠いものでした。 2009年9月からは自社出社となり、早速先輩よりファイルサーバのログを検索するツールを作成しろとの指示をいただきました。
しかし、この指示こそが無理難題だったのです。 どんなプログラム言語、ツール、データベースの種類を使うのかも自分で決めろと言われ、次第にストレスを感じるようになりました。何をどうすれば良いのか分からなかったのです。誰にどう説明すればよいのかすら分かりません。
一度だけ役員にその旨を説明したのですが「何も聞いていない」と恫喝されました。当時は質問の仕方を全く知らなかったこともあり、私にとってはパニックゾーンでした。
日に日に食欲が無くなり、 無気力になりビルから飛び降りたら楽になるかな? と考え始めるようになりました。 心療内科に行ったところ「抑うつ」と診断され、医者より薬も処方された上で半年間休職しろと言われました。
先輩としては「適切なコミュニケーションを取れるようにするための訓練」という位置づけだったと思いますが、私には無理でした。 9月11日の帰社日、先輩に退職の旨を伝えました。半年間休職し、その後復職しても元の木阿弥 だと思ったからです。
そしてその先輩と一緒に役員にも退職の旨を伝えたところ、その役員は悲しそうな顔をしていました。しかし、自分の命を守るためには仕方がありませんでした。そして私のシステム開発経験は、わずか1年8ヶ月という短命に終わってしまいました。
いなべ
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